2017年08月06日

思考・感情観察の次?

先日、8月1日から三日間、「臨済寺緑蔭静坐と法話の会」に行ってきました^^

朝6時から45分静坐、7時から45分住職さんの法話、その後に粥座だったのですが、
私は粥座の前に失礼させて頂きまして(^^ゞ

初日は建物に向かって境内を歩いていると、賽銭箱へ向かう前を子猫が歩いていて、
その子猫が途中で振り向いて、ニャァニャァ♪ めっちゃ可愛い〜^m^

二日目は、和尚さんの法話中に外から、ニャァニャァ♪聞こえてきて、しばらくすると…
たまたま座っていた位置から和尚さんの横後方に窓&外の建物の階段が見えていたのですが、
その外階段を(前日と同じ)子猫が歩いていて、かわいい〜^m^

さて♪臨済寺の和尚さんの法話は…いつも⁉頭ではよくわからないのですが(笑)
聞いている時にはピンと来なくても、後からジワジワ〜っと深いところに、
くるんですよね〜^^

初日は、戒律のお話があった…と思うのですが(^^ゞ
和尚さんはそんな話は一切触れていないのですが(←ここ重要)
そうか!だから一休禅師は戒律を守る必要がなかったのか⁉とハッとしました。
戒律は「執着」を起こさないようにする工夫なのかな…と(勝手に妄想^^;)
一切の執着が無い人は、戒律にも執着が無いので、守るも守らないも無いのかな…
なんて思いました。

二日目は、休憩時間に
先輩雲水さんに指示されてお茶を用意してくれていた若手雲水さんの顔を見た時、
その雲水さんは(私から見ると)怒られるのを恐れている様に見えていたのですが、
その時に、

ハッ Σ( ̄◇ ̄)

と、
その人の本来の姿に気付きまして、

例えるなら、映画を観ている時に、
さっきまで物語のキャラクターに見えていたのが、俳優にしか見えなくなるみたいな^^;
以前、下町ロケットの再放送を、財前部長カッコイイなぁ〜と思いながら見ていた時、横から
「あれ吉川晃司だよね?」と言われた途端、吉川晃司にしか見えなくなっちゃったみたいな(笑)

話を戻しますと、
元は自由でパワフルで創造的な存在が、
現象世界という制限のある舞台の上で様々な人の形をとって、
本来の姿とはかけ離れた役柄を演じているビジョンがパッと視えまして、
その本来の姿(=仏性?)と、今、現象世界に現わしている雲水さんの姿が重なって視えて、
そのギャップに、わ〜お!と思うと共に(笑)
白隠禅師坐禅和讃で詠われる「衆生本来仏なり〜♪」が、あぁ♪そうだよね〜^^
って感覚的に分かる…ような気がする(笑)場である禅寺って、
やっぱ凄いなぁ〜♪と思いました^^

三日目は…門前の池に蓮の花がキレイに咲いていました^^



最近は、イラっを、自分の中心に戻る機会に使えるようになってきまして^^b
思考・感情を観察する機会(時間)が増えてきました^^

イラっとした時やネガティブ感情が発生した時、
“だるまさんがころんだ!”状態で(笑)ハッとして一瞬☆思考をSTOPさせます。
すると、意識が今に戻り、フォーカスが周りのすべて(世界)へ開きます。
さっきまでの思考も感情も過去になり、それを続行する気にはならず、淡々と対処して、
その出来事も自分の中心に戻る機会だったと受け入れられます。

引き続き自分の内側の観察をマスターしていくと共に、次は♪
肉眼で見ている身体を超えて、相手本来のパワフルで活き活きした姿に
目を向けられるようになっていくと良いな☆



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posted by masam♪ at 20:20 | Comment(0) | 日常の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする