2016年08月01日

人生で出合う事は“私”を知るため!?

今日は、新聞のお知らせ欄で見つけた「臨済寺緑蔭静坐と法話の会」に行ってきました^^

まだ夜明け前の薄暗い4:20に家を出て、富士山のシルエットを見ながらテクテク歩いて
途中、浅間神社でお参りして、5:50頃に臨済寺に着きました^^

受付を済ませた後は、6時に開始の鐘が鳴ったような気がしますが…
6時半の終了の鐘が鳴るまで、ただ坐っていました。
坐り方の説明はなかったので、私は目を閉じる瞑想スタイルで坐っていましたが、
7kmのウォーキング後だった事もあってか、坐っているのが楽でした^^

15分休憩の後、6:45から法話が始まったのですが、
そこからは坐っているのがツラクなってきましたね^^;

それはさておき、会の中で坐禅和讃というお経?が唱えられまして、その中で、
「衆生のほかに仏なし」と言っているのが耳に入った時に、
目の前に座っている一人一人に仏性があるんだな…
と、その輝きのようなものを感じました。

法話の中で、
「人生で出合う事は、全て、“私”を知るため…!?」
といったお話があったのですが…(もし意味を取り違えていたらスイマセン(^^ゞ)

私たちは通常、人間ドラマに夢中で表面的な“私”を見ている事が多いものですが、
真剣に“私とは何か”を、求めて、求めて、求め続けると、
“私と思うものの背後”の存在に気付くようになります。

それは常に私たちと共に在り、それから離れた事はありません。
だけど、気付くまでは、全力でそっぽ向いてるから(笑)気付かないままでいられます。
おそらく、それが仏教で仏性と呼ばれるものかな(・・?と思います。
十牛図で牛で現わされるものです。

“私と思うもの”の背後に気付くと、それが他の人の背後にもある事が分かってきます。
というのも、それらは同じもの(同じ光源)だからです。

すると、出会う人や出来事が、
私が私を知るためにサポートしてくれている存在である事に気付きます。

無自覚であっても(霊的には)お互いサポートし合っている事がわかると、
罪悪感も必要ない事がわかります。

そんな風に現実や他者を通して、より“私”を知り始めます。

「人生で出合う事は、全て、“私”を知るため…」(意味を取り違えていなければ(^^ゞ)
から、そんな事をつらつらと思いました^^


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posted by masam♪ at 23:55 | Comment(0) | 参詣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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